備忘録。

痛いポエムの墓場。ここにいない誰かのどこかに刺さってくれることを願ってます。

親のあり方。

今の自分の親は本当の自分の親ではなく、もっと素晴らしい人間が本当の自分の親ではないか?という疑念を持つ心理が子供の時にあるらしい。
子供ながらに、親に対しての嫌悪感があるのだ。自分ができないことを親はできる劣等感。自分はできるのに親はできない優越感。親がして嫌なことを自分もしてしまう自己嫌悪。

親は子より先に生まれただけの存在だ。
親は背中で生き方を教えてくれればいい。それ以上に干渉されると、親の「第二の人生」としての生き方になってしまう。

何から何まで過保護になる必要はない。子供にも子供なりの考え方があるからだ。
「受験はどうなの?」「どこ受けるの?」「好きな人はできた?」「恋人は?」

知らないよ。ほっといてくれよ。
過ぎたるは及ばざるがごとしと言うように、過干渉は無関心と同じくらいに子供はストレスを感じるものだ。

もちろん、大人には大人の考え方があることを知っている。

親が子供だったとき、


・親にされて嫌だったことを子供にしない。
・親がしてみたかったことを子供にさせたい。

こういう発想に至ることはとても自然なことだと思うからだ。自分がされて嫌なことを人にはしない。してほしかったことをしてあげる。普通は喜ばしいことのはずだ。しかし、これも押しつけがましくなると、不満が噴出するのも分かる。友達と遊ぶのをやめさせられて、習字に通わされ始めた僕だから言える。習字が好きだった訳でもないから、早く帰れる日は遊びたかった。

自分がいつか親という存在になったとき、子供といい関係になるために、つかず離れずの関係を保ちたいと考えているが、これが子供にとって正解なのか間違いなのかその時になるまで分からない。(その時になっても分からないのかもしれない。現に不満を抱える子供は多いし。)

親への嫌悪感を乗り越えた先に、親の努力や優しさが分かる。現に習字の話なんかも、字が綺麗だと後々役に立つという遠回しな優しさだってことはとっくの昔に気付いていた。嫌いが先行するだけじゃ、僕は成長できなかった。嫌い、苦手な部分を分析して、ちゃんと嫌いで苦手なところを理解すること。自分には嘘をつかない。その上で、親に接する。そしたら、嫌なところと分離したいいところが見つかってくると思う。それはお腹空いてない?って声をかけてくれたり、制服にアイロンかけてくれたり、そういう些細な優しさかもしれない。不器用なりの親からの愛なんだとそこは嫌いや苦手を別にして受け取るのが、子供にできることなのかなと思う。

上の話から親のあり方だけについて抜き出して追記すると、

・親は過干渉すべきではない!!
・でも無関心もいけない。
・背中で語れ!!模範になる必要はあっても、1人で完璧な人間にはならなくていい。そこは将来付き合う人とあなたでカバーし合えばいいから。

・マイナスイメージのある言葉を言わない。あなたはできない子とか、産まなきゃ良かったとか、絶対にだめ。何があっても。それよりも切り替えてがんばろう!とか励ましの言葉をかけてあげたい。
・あとプライベートなことにはあまり踏み込まないようにしようね!!彼女いるの?って聞かれた時に思わず鬼の形相になって親を泣かせた僕が言うんだから間違いない!泣きたくなかったら聞かないようにしよう!

親のあり方って難しいね、数学みたいに正解とか不正解がある世界じゃないから、どっかは妥協して、どっかは完璧に、みたいな世界だ、完璧主義者には向いてないなと思う。でもあなたが子供のためにしてあげる何かしらは、いずれ芽吹く種子となっていると思う。だからめげずに子供に向き合ってほしい。